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ほんのにわ
- 2021/03/31(水) 15:05:04
「ほんのにわ」という絵本をもらいました。
みやざき ひろかず作 偕成社
プレゼントしてくれたのは、中学からの長い友達です。
コロナと母の病気などもあり、長く友達とも会えずにいましたが、
先週は“友達ウィーク”
偶然に三組の古い友達がそれぞれ訪ねてくれました。
すごく久しぶりの友との会話に、私は楽しく励まされました。
さて。
「ほんのにわ」はやさしい絵柄にちょっと不思議なお話の本。
父も庭師だった庭師が主人公です。
「にわを つくるのは、えを かくのに すこし にている。
きや はなや いしで いちまいの えを かくように
にわを つくる。
なんねんかさき、きや はなが そだった すがたも
かんがえながら。 」
という一節に、うんうんと頷きます。
そして父がかつて作った庭の手入れにいくと、その家の奥さんが
「あなたの おとうさまが うえてくださった はな
ことしも さきましたよ」 と。
「えかきが えに いれる サインのような、
とうさんのしるしが こんなふうに みつかる。」
というところで、胸がきゅっとなる。
父が自分の手で作り、そこに母が球根や宿根草を植えた両親の庭は
二人のしるしにあふれています。
今咲きだしたリンゴの花やフリージャや、四季おりおりに。
そんな風に思うとうれしくて、両親の庭がいっそう愛おしく思えます。
友達はこの本を読んだとき、わたしに、と思ってくれたそうです。
自分を理解し、思ってくれる友がいることを、しみじみ幸せだと思ったことでした。
ありがとう!
春の庭
- 2021/03/30(火) 16:07:17
ちっちゃな一輪挿し
- 2021/03/29(月) 16:41:52
彼岸明け
- 2021/03/23(火) 16:40:11
お彼岸の間は亡き父と初彼岸になる母のために、たくさんの方にお訪ね頂き、有難いことでした。
その中に、以前両親が養鶏を営んでいた時に飼料を配達してくださっていた運転士さんがいらっしゃいました。
お父さんにもお母さんにもお世話になりましたと。
多分配達のたびに「お茶飲んでってください」と言っていたであろう母の姿が想像できるのですが、
数えてみれば養鶏をたたんでからもう50年近くになります。
そんなに時間が経っても、両親のことを思って下さる方がある。
聞けばもうすぐ94歳におなり。
高速道路を使う位離れた自宅から、自分で運転していらしたのでした。
無事に帰られたかな? と気になっていたら、翌日電話を下さいました。
ひとつ、言いそびれたことがあったから、と。
前日の話の中で「倒れた後もお母さんは長生きさっしゃった(された)ですなぁ」と言われ、
身体は不自由になったけれど、他に重い病気もなく、体調は落ち着いて過ごせたんですとお応えしていたのですが、
「そればかりじゃなく、あーた(あなた)の介護がよかったから、長生き出来たんだと思いますと言いたかった」と。
それはどうかは判らないけれど、そんな風に私をいたわって下さるお気持ちがうれしくて
何だか泣けたことでした。
週末の風雨が花びらを散らしたけれど、まだ頑張っているウチの桜。
その間に周囲のソメイヨシノも咲き進み、福岡はいまが見ごろです。
桜満開
- 2021/03/19(金) 18:19:11
赤いタケノコ
- 2021/03/17(水) 16:08:03
ミルクゼリー
- 2021/03/16(火) 12:53:01
スノーフレーク
- 2021/03/15(月) 19:11:09
桜
- 2021/03/13(土) 17:57:50
野菜の花
- 2021/03/12(金) 17:16:35
3.11
- 2021/03/11(木) 16:39:25
東日本大震災から10年。
この日には何か書き留めておきたいと思ってきましたが、
文章にするたびに、何か違うなと思ったり、空疎な感じがしたりで
葛藤がありました。
ひとつには、私が被災の当事者ではないということ。
被災された方々のお気持ちが分かるのか?
父が亡くなって初めて知った感情があったように、その人にしか分からない気持ちはあるでしょう。
もうひとつは、ボランティアといった直接的な行動は何も出来ずにいるということ。
2015年に一度だけ宮城と福島を訪れました。
自分の目で見ておきたいという思いだけで。
それでも知ること。想像すること。思うことは続けていきたいと思うのでした。
利休梅
- 2021/03/09(火) 14:54:35
ミニ水仙を
- 2021/03/06(土) 13:41:27
ひな祭り
- 2021/03/03(水) 12:36:53
昨日の荒天から一転、春の日差しが降り注ぐ今日は三月三日、ひな祭り。
おひなさまを飾っています。
猫のハルが乗らない棚の上を片付けて、今年は桜・橘まで飾れました。
まだ屏風とぼんぼりもあるのだけれど。
おひなさまを飾ると一気に部屋が華やいで、ちょっと幸せな気分になります。
娘が生まれたときに両親が贈ってくれたおひなさま。
28回目。そして結婚して初めてのおひなさま。
ずっと大事にしていきたいです。
小さい頃から四月三日におひなさまを祝ってきたので、3月いっぱいは飾ります。
その間に娘が帰省出来たらいいなと思うけど、引っ越しと仕事の猛烈な忙しさが重なって
「つらし」とLINEしてきてます。 あまり無理はしないでね。
ただ傍らに、助け合える人がいると思えば少し安心。
そんな二人でいて下さい、と母は思う。
玄関に
そして両親の写真の前に
春が来た
- 2021/03/02(火) 12:23:37
日曜日の新聞に掲載される、俳句と短歌の読者投稿ページを
いつも楽しみに読んでいます。
この前の日曜日に
「春が来た歌ふオモニは夜学生」 今西富幸
という歌がありました。
オモニですから在日コリアンの方。
色々なご苦労を乗り越えて日本で生きていらっしゃったのか。
生活に追われ学ぶ機会もなかなか持てなかったけど、
今改めて勉強しようとなさっているのか。
そんな女性が「春が来た」を歌う明るさと強さを私は想像したのでした。
で。
そうだ、今頃は「春が来た」を母と歌ったなあ、と。
春が来た 春が来た どこに来た。
山に来た 里に来た、
野にも来た。
花がさく 花がさく どこにさく。
山にさく 里にさく、
野にもさく。
鳥がなく 鳥がなく どこでなく。
山で鳴く 里で鳴く、
野でも鳴く。
シンプルだけど、春が来たうれしさと情景が自然に浮かぶ歌詞とメロディです。
母とはよく季節の歌を歌いました。
言葉が出にくかった母も、歌やことわざはすらすらと出てきて
周りを驚かせていました。
母と一緒に歌を歌うのは、口やのどのリハビリという面もあったけれど、
それより私がうれしかったのだな、と今になれば思います。
病院で亡くなった母が家に戻り、穏やかな顔で眠る母の横で一人になった時、
私は自然と、母と歌った「たき火」を歌っていました。
冬によく歌ったことでした。 ね?
3月
- 2021/03/01(月) 15:45:48
3月です。
母の介護という暮らしの中心がすっぽり抜けて、さてこれからどう暮らす?
いまだに定まっておりません。
片付けるべきことは沢山あるのに、そちらへは気持ちが向かず、
それじゃあ休んでみたらどうかと思うけど、そもそも休むってどういうことだ?
撮りためてある映画を観るのに、昼間2時間も椅子に座っていると思うと落ち着かない。
(別に私が働き者って訳では全然なくて)
結局庭や畑をウロウロして、雑草を抜いたりしているのでした。
母が入院したのに面会も出来ず、気持ちばかりが焦っていた時も
私は外仕事をやっていました。
一番気がまぎれることだったのでしょう。
でも3月。新しい月。
そろそろ何かに手を付けてみたらどうでしょう、私?
菜の花畑を歩く牛、ではなくて猫のハル。
「ハルちんの後ろ姿、かっこわるーい」ってお父さんが言ってたよ!
どうする?
別にどうもしないよね(笑)
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