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レース文様の器
- 2017/08/27(日) 16:05:16
ガラス祭のお知らせ
- 2017/08/26(土) 16:06:46
8月
- 2017/08/19(土) 23:30:19
ご無沙汰いたしました。
ブログの更新が出来ていないなあと思っていたら、
8月はこれが初めての記事。
もう19日だというのに、あれあれです。
お盆も過ぎました。
それにまつわる思いなど、書かせていただきたいと思います。
お盆の仕来たりというのか過ごし方は、宗派によって、それ以上に地域によって
様々あるようです。
ウチでは迎え火、送り火を焚くことはせず、提灯を下げてお墓までお迎えに行ったり
送りにいったりします。
宗派の教えから言うと、それはちょっと違うようなのだけど、親戚は昔からやっていて、
つまりは地域の風習だろうと思います。
有り難いことに父のお墓は歩いて行ける昔からの小さな墓地に、父が自分で早々と用意してくれておりました。
ただ、正直に言うと、私はお墓の前で、いつも戸惑いを覚えます。
父のお骨はここにあるけれど、父がいるような気になれなくて。
毎日お仏壇に手を合わせ、「お父さん」と呼び掛けているのに、
お墓の前でも同じことをするのに、何だか違和感を覚えるのです。
もっと言えば、父はいつも近くで私達を見守ってくれている。
日常のなかで父を思い「お父さん」と呼び掛ける時、父にはきっと届いている。
それこそ、「千の風になって」が歌う世界のように。
お仏壇はそんな想いや機会を形にしたもの?
家の中の小さな寺院?
去年の初盆の折、来てくださった若いお坊さんに、お仏壇とお墓についての
疑問をお尋ねしたけれど、あまり得心のいく答えは頂けませんでした。
実家では父が初めての仏様で、先祖代々のお墓やお仏壇ではその心持ちも
また変わってくるのかもしれません。
ただ、暑さが少し落ち着いた夏の夕暮れに、
三々五々と地域の家族が提灯片手にお墓に集まり、
仏様をお送りする風景は、亡き人を思う、自然な連帯感を感じて、好きなのでした。
何だか、まとまりもなく、すみません。
8月初めのひまわり達。お盆に咲くようにと育てました。
大きな花は家に飾っても見栄えがします。
お盆にはお仏壇横にたっぷり活けて、
お客様から「わあ!」と褒めていただきました。自慢してます(笑)
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